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日々考えている事とか考えていない事とか。 各種ネタバレ取り揃えております。 人間人間3、刀語十二巻まで読了。
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昨日は帰ってばたんきゅー(死語)どうも珀です。
今日は風呂が沸くまでPC。出来たら夜中に戻ってきます。

某さんとこのブログ読んでて、確かに独あたりの歴史ごっちゃなんだよなorzとなったので自分でも考えて見る事にしてみる。
まあ同人だから別にこだわらなくていいでしょうけども(予防線)
自分用なんで読みにくいですが、興味のある方は続きからどうぞ。

ではでは。



えーっと遡るとフランク帝国が三つに分かれて、そのうちの東フランク帝国がドイツの元になったんだったかしら。残りの西フランク帝国がフランス、中フランク帝国はイタリアの元だけども、確か帝国としてはすぐに分裂して、イタリア再統一は1900年代にならないとなかった気が。まあそれは結局ドイツも同じですけどね。そういう統一、ひいては発展の後進国と先進国の争いが二度目の大戦の構図の一つだという説? 意見? もどっかにあったはず(うろ覚え)

えー閑話休題、東フランク帝国はその後、神聖ローマ帝国になります。というか、東フランク帝国の皇帝が、神聖ローマ皇帝に任命されます。任命したのはローマ教皇。何かっていうと、神聖ローマ皇帝、ってのは普通の皇帝とは確か意味が違って、ローマ教皇をあがめ守り奉り? キリスト教を信じて国を治めますよって言う特別な意味合いがあったような……(さっきから語尾が曖昧だ……)。東フランク帝国の元のフランク帝国のカール大帝も、途中でローマ教皇から西ローマ帝国皇帝に任命されてます。
国、っていうより連邦っつー感じですかね。

本家様でも確かありましたが、それからイタリアに手を出したり、大空位時代とかを経験します。
選帝侯、ってのが神聖ローマにはいまして、これは有力な諸侯七人の事で、こいつらが皇帝を選びます。
で、選ばれたのが例のハプスブルグ家のルドルフ一世。

ちなみにハプスブルグ家、本拠地はオーストリアでしたが元々の出身地はスイスだったはずです。
どうでもいいわ。

このルドルフ一世、すんばらしい人物だったから皇帝に選ばれたかというとそうでもなく、大した事なさそうだったから選ばれたんですね。
選帝侯的には、自分達の上に賢い奴がいたら困る、という感じで。
ところがこのルドルフ一世は意外と出来る奴で、どんどん勢力拡大しちゃいます。
この人の後からしばらくハプスブルグ家からの皇帝はでなかったんですが、その後再び同家から皇帝が。
その人の代で、完全にハプスブルグ家が皇帝の座に居座る、って構図が出来上がります。

この辺から神聖ローマ帝国はずっとハプスブルグ家が仕切ってた筈です。
まあ、神聖ローマ帝国の名称自体はその時々で代わるんですが。
大空位時代後の神聖ローマ帝国の評価としては、「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」ってのが確か有名な言葉です。誰が言ったか忘れました。

とりあえずハプスブルグ家は、有名な話ですが婚姻で勢力を広げていきます。
「日の沈まぬ国」スペインとの婚姻が有名かなあ。
ハンガリー王家とも結婚してたはずです。
他にも奴らの結婚話は色々楽しいです。

1700年代に、マリアテレジアの時代です。詳しい年号はさっぱりです。年号苦手です。
マリア・テレジア即位に当たって、継承戦争勃発。
まあ本家様で直接あったんで割愛です。

さらっと流された所で好きな所があるんで紹介しますが、まあ蛇足なんで適当に飛ばしてください。

(蛇足ここから)

プロイセンにシュレジェン取られたので、マリアテレジアはそれを取り返しに行きます。
前回の継承戦争ではイギリスだけが味方についてくれましたが(でもその途中で中立に回る)、今回は仲の悪いフランスとの同盟です。

代々フランスとオーストリアは敵対することは多かったりします。
イタリア戦争でもそうですし、ドイツ三十年戦争でもそうだった……ですよね……(自信ない)

だから、プロイセンのフリッツ親父もまさかあるまいと思ってた同盟にかなりびびったんだとか。
正確には、オーストリア、フランス、ロシアの同盟に当たります。
別名「三枚のペチコート」。何かって言うと、オーストリアのマリア・テレジアと、フランスの国王の愛人ポンパドゥール婦人と、ロシアの女帝エリザベータが主になって結ばれた同盟だから。
プロイセンはこの頃イギリスと同盟をしていたので、フランスとしてもオーストリアと結びやすかったのもありますし、後フリッツ親父って女性蔑視っつーか女大っ嫌いみたいな性格で、ポンパドゥール夫人はぶっちゃけ腹立ててたのもあるんだとか。
絶体絶命プロイセンですが、ある時ロシアのエリザベータが亡くなり、新たに即位したピョートル3世はなんとフリッツ親父の崇拝者。
そんな訳でロシアはプロイセンと講和条約を結んじゃいます。
シュレジェンはオーストリアに帰る事はありませんでしたとさ。

(/蛇足ここまで)

マリアテレジアの子供、マリーアントワネットは「ベルばら」で有名ですよね。ベルばら面白いよベルばら。
その後、フランス革命を止めようと、プロイセンとかと共々出兵してたりしますが失敗。
時代の風雲児ナポレオンにより、神聖ローマ帝国は解体にいたります。

まず、ナポレオンが攻めてきて、ヨーロッパ中大混乱になります。
ナポレオン追放後の「あの厄介な奴もいなくなった事だし昔のヨーロッパに戻そうよ」ウィーン会議は有名な「会議は踊る、されど進まず」状態でした。
まあ、ナポレオンが流された島脱出した、って聞いて慌てて色々決めるんですけどね。

その辺で、神聖ローマは解体、その神聖ローマに属してた国+αでドイツ連邦結成。
盟主はオーストリア。
その後、プロイセンはオーストリアと一緒にロシアと戦ったりもしますが、結局普墺戦争勃発。
別名七週間戦争とも呼ばれ、プロイセン軍の圧勝でした。
ちなみにこの際、プロイセン側にはイタリアが参戦してます。
でもイタリア軍は負けっぱだったそうです。
負けたオーストリアに調子に乗ってもっと領土をねだり、キレたオーストリア軍に国境線まで来られて大変なことに。プロイセンから諭されて、領土要求は適当な所で終了。

まあその戦争結果、オーストリアはドイツ連邦からはじかれ、ドイツ民族統一はプロイセンの手で行われる事になりました。

そもそもこの戦争は、19世紀後半に、「ドイツ民族統一しようよ!」って動きが始ったのが原因の一つ。
で、オーストリアは多民族国家なので、こいつどうしようかって話になる訳です。
プロイセンが支持するのはは小ドイツ主義。
所謂「オーストリアハブってドイツ統一しようぜ!」という感じ。
他にも「オーストリアのドイツ民族地域だけ入れて統一!」とか「もう全部オーストリアいれちゃえ!」とか色々主張はありました。

結局プロイセンの勝利で、ドイツ連邦は解体、オーストリア覗いて、他のドイツ民族の国加えて、プロイセン盟主の北ドイツ連邦に。
プロイセンは普仏戦争などを経て、晴れて統一ドイツの王として認められます。
所謂ドイツ帝国。

ちなみにハブられたオーストリアはハンガリーと二重帝国を作ります。
完全同意の上かっていうとそうでもなくて、ハンガリー側の反発、妥協の結果だったそうで。

その後ドイツ帝国は、大戦とか大戦とか大戦とかを経験して、今の形になる訳です。
今はドイツ帝国じゃなくてドイツ連邦共和国ですけどね。

……思ったより長くなったなあ。
割と割愛したんだけどなあ。

時にプロイセンが出来た経緯は、元々十字軍に参加してたドイツ騎士団の騎士団領が色々あってプロイセンになった、という感じです。
ポーランドの属国になってた時期もありました。
名前忘れたけど、確かなんかの戦いにオーストリア側で参加したから、広告になったんじゃなかったっけ(適当)
ドイツ帝国編成後はその存在感をなくし、飛び地となったプロイセンが二回目の大戦の原因の一つにもなったりしましたが、二度目の大戦中に完全に国家ではなくなります。
大戦後、正式に解体が宣言されました。
領土的にはポーランドとロシアに分割されてます。


…うっひゃあ、自分用にまとめたつもりがまとまってねえ(致命的)
駄目だな、ちゃんといれた知識は整理しないと…
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