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休みというのはいい物です。
今日は刀語をお題でup。
短編は割に久しぶり。しかし現パロors
ああいう、何だ、微妙にリンクしてるっぽいパラレルは割と書きたくなるから困る。
さてさて。
今日考えたこと。
例えば、右目を潰された人が居たとして、左目は右目の潰される瞬間を見ているからその事実は記憶として残り、右目は単に消えるという事、或いは消えていなかった時代があるという事でその事実を認識するから追憶としてしか残らないんじゃないだろうか、とそんな事を考えました。
神経があるから痛みがあるわけで、例えば腕ごと切断されてしまえば、切断面の神経しか痛みを伝えてこないと思うわけで。なら、痛むはずのない切断面が傷むのは記憶、所謂トラウマだけれど、指先があるかのような勘違いをするのは単に追憶だ、と。
すみません私にもよくわかりません。
何か言葉遊びをしたかっただけだと思うんだ……
うん、追憶という言葉は果たして記憶という概念を前提になりたっているのかどうかとか。
なりたってるに決まってるんだけどさ。
とりあえず反抗してみたくなるのよね、反抗期(?)だもの。
こういう無駄な事を考え出すときには、ばっちり防衛機制が働いているのかしらんと何となく思う。
防衛機制と言えば、友人に、どうして防衛機制の失敗が自殺なのか、と聞かれて話し合いました。
人から習ったわけでもなく、本に書いてある知識を鵜呑みにしての議論なんで、人に聞かせたら実に恥ずかしい感じがしますけどね。
友人は自殺だって一種の防衛機制なのじゃないかと言う。
私は人間の生存本能を無視する自殺は失敗以外の何物でもないと思う。
そもそも自殺したら再適応もクソもないと思うだけなんですがね。
自我が消滅するんだから、そもそも問題が成立しないような。
とりあえず俺暇なのかな^^^^
そして中二病。どうせ重症患者ですよー。いいんだ、どうせ年取ったら治る(といいな)から。
おかしいな、さっきまで応援演説の内容考えてたはずなんだけどな。
あ、そうそうリクは後3つのままです。
13:00頃に拍手された方、文が途中で切れているので、もしも何かあったのでしたらもう一度拍手頂けると助かります。